『花は人なり』
先日のお休みに、お花の講習会が正岡子規記念館で行われたので
お勉強にと参加してきました。
講師の先生が全国を巡回して回るのですが、
毎回、ユニークな先生ばかり。
池坊中央研修学院の准教授もしておられる方で
頭の回転がとても早く、生け花のデモンストレーションでは
感覚の趣くままに次々と作品を完成させていきます。
ひとつひとつの作品に説明を加えながら生けるのですが、
説得力がある上に、10分程度で完成されたとは思えない出来。
今回の巡回講座のテーマでもあった『花は人なり』
特に印象に残った言葉たちを紹介すると、
「人の技をまねるのも良いけれど、自分のものにしなければ意味が無い。
きちんとそこに至る背景を説明できてはじめて自分のものになる」
「表現に正解はない。自分が自信をもって作ったもの、それが正解」だと。
「個々を認めるということ。人の挙げ足を取っても結局何も生まれない。」
自分の仕事に置き換えて聞いても、納得することばかりでした。
特に、先生がデモンストレーションでよく口にしていた
侘び寂び、という言葉。
若い花ばかり生けても説得力に欠ける。
そこに茶葉や古木を差し込むことによって、ご老人のような風合いが加わる。
後ろで、そっと支えてくれているような。
それが、味になるんです、と。
花は様々な、感情をなげかけてくれると先生は言います。
花と人はほんとうに似ていて、人間関係をつくり出す上で
もっとも大切な事を学ぶ手だては自然界の中にあるのだと
忘れかけていたことを改めて教えられたような気がします。
色彩のお話もありましたが、西洋は色とりどりの花々や、
たくさんの色を使って土地や空間を表現することが多いけれど、
日本は単色や奥行きを使って表現する、ということ。
例えて言うなら、お座敷という空間から縁側の向こうに広がる緑や紅葉であったりと、
日本人の侘び寂び、奥ゆかしさは、やっぱり好みだなあと思うのです。
巷ではインスタ映え、という言葉がたくさん溢れていますが、
それはそれで、独創的で楽しくて、美しいものなのだと思います。
そんな中でも、多色を使わずとも美しい、という日本独特の感性は、
自分の中にしっかりと持っていたいものだなと思います。
2019-07-22 10:01